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2010年5月28日 (金)

エピソード4「モダンジャズに初めて触れた日」

(全号より続く)

<ゼンさんの回想「何故JAZZに傾倒したのか」と言う1961年のエピソードを語る>

     ・・・・1961年1月、アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズ(JM)初来日のエピソード・・・

そうあれは中学1年の終わりか、12月に同級生の軒口君が最寄の駅から学校まで道のりを歩きながら、「おいカッコいいんだ、モダンジャズって聴いたことあるか?」と。

「ウン、でも良くしらない、俺ウエスタンの方が好きだもの」

「ウエスタンなんて面白くないよ、みんな同じに聴こえるじゃん」

「ハンク・ウイリアムスはいいぜ、素朴でカッコだっていい」

内心、西部劇ブームでミーハーなノリもあったがでも昨日、今日ではない、小学3年生の時に見た「デービー・クロケットの冒険」という映画で主題歌がカッコよかったので親にせがんで、小坂一也とワゴンマスターズの「デービークロケットの歌」のレコードを買ってもらった。(SP78回転盤)

そこが始りだった。ウエスタン ギターの低音が響くところが何とも言えず良かった。

「おまえ、モーニンって知っているかよ、アート・ブレイキーのさ」

「知らない」

「凄いんだよこれが、先ずさ、ピアノがこう来るわけよ、そしてりー・モーガンって言うトランペットが脇を締めて、細身のズボンでカッコ良く吹くんだから」とたたみかけてくる。

「今度1月に日本に来るんだけど行かないか」

「分からないよ」

「今度貸してやるよレコードを」

「貸してよ一度聴いてみるから」

翌日、軒口はレコードを大事そうに持って学校に来た。

袋から出すとジャッケトには何やら真っ黒な背景に汗だらけの黒人の顔が浮き出ている。

「これが、アート・ブレイキーだ」中一にしてはませた彼は解説を始めた。

まるで夜店の香具師の口上みたいに滑らかに・・・。

そして家にもって帰ってファイファイセットのターンテーブルにLPをのせた。

なんだ、この音楽は・・・聴いたことの無いメロディーとハーモニー。

ファンキーという表現すら知らない時に、どう表現してよいやら、でも嫌いではない。

そして、軒口の言う「モーニン」が始まった。

ピアノの音が違う、自分が小学校時代、親に無理やりやらされていたお稽古ピアノの先生の音とは明らかに違う。

<BN モーニン/アートブレイキーとジャズ・メッセンジャーズ、ベニー・ゴルソン、リーモーガン、ボビー・ティモンズ、ジミー・メリット、アート・ブレイキー>

1002_016

・・・おお、ペットとテナーがあいずちを打つ様に応える、メロディーを弾く担当がピアノから管楽器に交代する、ピアノが応える。・・・・・

エッ!なんだこれは、何が始ったんだ。

このペットの音はなんだ・・・突然高い音が突き刺さるように繰り返されて、後ろではドラムが突然またガンガン始る。

明らかに、最初始ったメロディーとは違う、このメロディーはなんなんだ。

これが軒口が言っていたアドリブというやつか、自由に即興で演奏するって言っていたけど。

おおおお、また凄いぞ、だってペットが今吹いたメロディーをそのまま後を追うように繰り返してテナーサックスが吹きだした、背筋に鳥肌が立つのを覚えた。

年が明けて1月の日、寒い日だった、二人は学生服にクリクリ坊主頭で(私学の規定で中学生は坊主がきまりだった、高校から伸ばせた)産経ホールの入口にいた。

親に頼んでチケット代をせしめた、でもS席3000円は買えなかった、1000円のB席から今や遅しと・・。

周りは大人ばかりで、正月とあって着物姿の女性もいる、みな不思議な顔をして坊主頭の二人を見てゆく。ロビーでは樽酒も振舞われて賑わっていた。

場内が暗くなり、ベルが鳴る、MCが出てくる。(いソノてるオ氏だったと思う、後年、高校生時代の悪ガキになった頃、氏をからかって怒られたことがある、「あいつ、ウソノテルオだぜ!」と言ったのが聴こえたのだ。でも社会人になって、縁あってその事を話したら覚えていて、冷や汗をかきながら氏と一緒に氏の経営する中華料理店で食事をしたことがある)

<1961年JM初来日の東京でのライブ盤>

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曲が始った、幕は未だ下りている、ドラムが凄い音で叩き始めた。

曲は分からない、隣で軒口が囁いた「SUMMITだ」

凄いスピード感と音量だ、レコードとは全く違う大迫力だ。

始る前に軒口はテナーはベニー・ゴルソンでは無く、ウエイン・ショーターという若手だ、アメリカでの評判は結構良いらしいと、生意気な口で説明してくれていた。

「でも実物はカッコいいな、リーモーガンもカッコいい、ボビーティモンズの弾き方もいいね」僕も軒口も興奮気味に話ていた。

「ファンキーだよな」軒口が叉生意気に僕が知らないと思って専門用語を使い出した。

自分の中でこれがファンキーかと・・・次から次と押し寄せる波のようなリズムと音量を必死で受け止めながら感じていた。

「ブルース・マーチ」の出だしのマーチング風ドラムもかっこ良く響いた。鼓笛隊とはぜんぜん違う!。

コンサートも終盤になって、ティモンズが例のメロディーを弾いた。

会場からウオーという声が上がり拍手がきた。

テーマがだんだん盛り上がりモーガンのソロに入る瞬間、誰しもがあのハイノートヒットを期待していた、そして期待に応えて突き刺すハイノートを絞りだした。

その音で身体中に電流が走って頭のてっぺんに抜けた。

ブレイキーの強力なアフタービートが生の音で迫り来る。

会場全体が催眠術にかかったようだ、ステージのソロ奏者の一点に集中し一音に集中している。

身体が自然にゆれてくる。

演奏会場から駅まで二人は無言で歩いた、「おい、スゲーな」これしか言葉にならなかった。

<1961年1月の回想終わり>

     「Morinin‘」BN4003番・・・当時は銀座ヤマハへ買いに行った、BNは輸入盤しか無く一枚3000円、国産LPは1800円の時代だった。因みに大卒初任給は15000円くらいだった。

<次号へ続く>

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コメント

みなさんにとって、ジャズとはどのように出会ったのですか・・・お聞かせください。

ややっ、こんばんは。お久しゅうございます、1年と10ヶ月ぶりの「Fのブルース」再開ですね。KAMIさんのタレこみで知りましたが喜ばしいかぎりです。このぶんではあのdukeさんの「アドリブ貼」もじきですね。

ところで、今回の記事で、はて?自分のジャズとの出会いはと改めて思いを廻らせましたが、おぼろげにではありますが確かきっかけはデキシーランド・ジャズの「マスクラット・ランブル」で、のめりこんだのはやはり50年代のバッパー皆という感じで取りとめのないこと甚だしいのです。それでもなお折々に聴くジャズが心に響くのは一生のめっけもんだと思って止みませんね。smile

しんじさん、お久しぶりです。また書きなぐり原稿の整理からはじめめました。宜しくお願いします。

shin さん、いよいよ噂のブログを再開されましたね。荒唐無稽を装ったジャズ体験に基づく真実のアドリブ展開を期待しております。

前エントリーの「Satin Dall」、いや「Satin Doll」といえば「彼のシガレット・ホルダーが気になってしようがない」で始まりましたね。
帝国ホテルでシガレット・ホルダーを取り出そうと思ったのですが躊躇しました。(笑)

再開ならぬ、再会を楽しみにしております。

DUKEさん

先日は短時間ながらお会いできて良かったです。

シガレットフォルダー、そしてテレフォンナンバーも出てきますね・・・。
もっとも電話番号はゲットしましたが・・・(笑)

引越しは落ち着きましたか・・・落ち着くわけないですよね。

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