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2010年6月21日 (月)

エピソード:12「主人公ゼンさんは今、1963年(昭和38年)へタイムスリップ中」

1963年って、ジャズ・ミュージシャンの初来日ラッシュだった。

ジャズ・メッセンジャーズは三菅編成で二度目、モヒカン刈のロリンズ、モンク、エリントン、ピーターソン、ジョージ・ルイス、ベーシー、マックス・ローチ、エルビン・ジョーンズ、ロイ・ヘインズ、フィーリー・ジョー・ジョーンズなど等・・。

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翌年の64年はまた、マイルスの初来日ということ、そして第一回世界ジャズフェスティバルで多くのアーティストが来日した。

1963年って、何があったか、チョット「ザ・20世紀」というサイトで覗いてみる。

ケネディ暗殺、日米宇宙中継、が11月23日にあった。池田隼人が総理大臣で、田中角栄がもう若くして大蔵大臣になっている。ビールが115円だって高いね。国立大学授業料が年間12000円。

この年にはアイビー・スタイルのファッションが流行り、これの生みの親、石津健介氏が「TPO」という言葉を使い話題になった。このTPOという言葉は大事な言葉で、単に服装だけを意味したものではなく、マナー、エチケットや精神的なものにまで広く意味している事を理解できたのは、数年後であった。

石津健介氏は「VAN JACKET社」の創業者でその後VANは行き詰まったが、氏の残した足跡は大変に大きいと思う。

特に団塊の世代にとっては・・。

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因みにアイビールックとジャズの関係はというと、この時3管編成でやってきた、JMは全員がアイビールックで決めていた。日本ではピアニストの三保敬太郎氏がアイビールックをカッコよく着こなしていた。

VANはスポンサー番組の所々にJAZZを用いて、洒落た演出をした。

この、「カッコイイ」という言葉もこの年の流行言葉である。

巷では、ビートルズが流行り、東京五輪(1964年、昭和39年)を前に、日本は異様な盛り上がりをしていた。

新幹線や高速道路も開通し、加山雄三の「若大将シリーズ」も始まり、「高校三年生」を舟木和夫が歌っていた。

力道山が刺されて亡くなり、雑誌「女性セブン」や「ヤングレディ」、「少年キング」が創刊された。「巨人、大鵬、タマゴヤキ」の始まりである。

これらが1年の間に一気起こったのだから、忙しいというか、落ち着かない。

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ゼンさんは、夏休みが終わると文化祭の準備に取り掛かった。二日間で計4回のステージをどう構成するか。

4人は喧喧諤諤、けんか腰で論議した。

オープニングテーマ:「ジャイブ・サンバ」

続いて:「危険な関係のブルース」、「Dナチュラル・ブルース」、「ボヘミアアフター・ダーク」、「朝日のようにさわやかに」(ピアノトリオ)、「ワーク・ソング」、「キャラバン」、「マイルストーン」「モーニン」「ブルース・マーチ」以上が主な題目である。

当時のノートが出てきた、大学ノートに書き置いてあった。

そして、そのノートの表紙にはスイング・ジャーナル誌の切り抜きを貼った。

そこには、64年9月号、モヒカン刈のロリンズが写っている。

バンドの練習が進むうちに、オープニングの「ジャイブ・サンバ」の何処で幕を開けるのか、誰が手動式の幕を左右に開けるのかが、問題になった。

バンドボーイなどはいない、下級生や部員などというものもいない。

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そこで何時も練習を覗きに来て冷やかしている仲間に頼むことになった。

右側の幕をケンゾウ君が、ケンゾウ君は軒口君の文芸部の1年後輩で、よく聴きに来るけど、「ジャズはよく解らない」と不可解な顔をしている。

幕の左をヒロミツ君に頼んだ、ヒロミツ君は大のビートルズ狂いだけど、自分では楽器が出来ない、ブラスバンドや音楽部以外の音が校内で聴けるというので、解ったような顔をして聴いていたが、いつもドラムの小林君に揶揄されて、「お前に解るのかよ」といわれ、「俺だってわかるさ、馬鹿にするなよ」と反撃していた。

ケンゾウ君は以前に大きな文学賞を受賞し、今は大作家先生である、ヒロミツ君はビートルズ狂いから、大学入学後、グループサウンズを結成しプロ活動、大学を7年かかって卒業、そしてベテラン・コメディアンとなりTVで活躍していたが・・・惜しくも早世してしまった。

軒口君が「おい、いいか、テーマのメロが始まって、8小節たったら、左右幕を同時に開けてくれ」という。

ところが、この8小節が解らない、ケンゾウ君が「8小節ってどこですか?」とトボケタ顔をして聞いている。

ヒロミツ君が「お前そんな事分からないのかよ!」と知ったかぶりをし、軒口君が「違うよ、ここだ」といって、アルトでそこのメロを吹く、「もう覚えておいてよ」と業を煮やしている。

軒口君が「分かった、もう難しいことは言わない、俺が足を上げるから、そしたら幕を開けろ」と、いともシンプルな方法に落ち着いた。

そんなこんなで、文化祭を迎えた。

まだ、高校生がジャズを演奏するなんて珍しい時代で、当日、男子校には普段いない近隣の女子高の生徒もやってきて、軒口君は大張り切りで、オーバーアクションでアルトをカッコ付けて吹いていた。

幕を無事開け終えた、ヒロミツ君は何を勘違いしたか、エレキバンドではないのに、テープを用意してきて、舞台に向けて投げた。

これが、第一ステージ終了後、大喧嘩のもととなった。

軒口君が舞台の袖に下りてくるなり、「頭にきた!アノヤロウ、テープなんて投げやがって」、ヒロミツ君が「おう、よかったろう、テープ用意しておいたんだ、盛りあがったろ!」

「ばか、お前ジャズが分かってない、いい加減にしろ、そこらのエレキバンドじゃ無いんだぞ」

「だって、ワーク・ソング、尾藤イサオが歌っているぜ、あれってロックだろう」

「ばか、あれは、ナット・アダレイが作曲して、兄貴のキャノンボール・アダレイと演奏してヒットしたんだ、下らない歌なんか付けやがって」

「おれ、そんなの知らないもん」

「もういい、舞台の前にくるなよ」

「いいよ、もう聴いてやらないし、女の子だって呼んできてやらないからな」

“ボカーン”、軒口君の短気が爆発して、ヒロミツ君のアゴにパンチが一発決まった。

ヒロミツ君はフラフラしながら、「いいよ、もう俺来ないから」

午後3時からのステージが開こうとしている、でも左の幕を開ける人がいない、困った。

そこへ、ヒロミツ君がフラットとやって来た。

「俺がいないと困るだろう」、彼はそのステージではテープを投げずに、舞台下で、物知り顔に分かった風を装い、静かに聴いていた。

でも、「ワーク・ソング」が始るや、舞台下で、尾藤イサオの形態模写を始めた。

僕はその格好があまりに滑稽なので、笑いをこらえながら、ピアノを弾いていた。

ヒロミツ君を殴ったり、大作家のケンゾウ君に命令した軒口君は大学卒業後、楽器販売会社に就職したが、飲みすぎが祟り、41歳の若い生涯を閉じた。

ドラムの小林君は大学卒業後、得意の語学を活かし、BBC放送の番組の翻訳をしていたが、何の縁か、山口百恵と宇津井健のドラマ「赤のシリーズ」の脚本も書いていた。

しかし、彼もガンで2005年に急逝した。

これが、僕の1963年17歳の秋、10月だ。

1963年11月23日、朝起きるなり、TVをつけた、衛星中継を見る為に、でもそこに来た映像は、JFK暗殺のニュースだった。休日なので、僕は昼頃、家を出て、一人銀座に出た、ドンヨリとした薄ら寒い日だった。

銀座のレコード屋、ハンターへ行き、物色した。

「マイルス・デイビス第二集」を買い、早めに家へ帰った、街はJFK暗殺の話で一色だった。

帰るなり、LPをターンテーブルに乗せた。

スピーカーからは、マイルスがモンクに話かける声が聞こえ、言い合いがあり、演奏が始る。

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ミルト・ジャクソンが、「THE MAN I LOVE」のイントロを間違える、これらが全て収録されているLPだった。

かの有名な1954年クリスマス録音である。

今でもこのLPを買った日のことをシッカリと覚えている。

<ゼンさんの1963年回想は取り合えずここで終わる。>

(みなさんは、1963年、何をしていましたか?・・40数年前です、早いものですね・・・「光陰矢のごとし、空しく渡ることなかれ」、道元禅師の教えである。

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コメント

MixiのPetroniusです。
ブログ本当に面白かったです。
>みなさんは、1963年、何をしていましたか?
中学2年で横浜市鶴見区の中学校に通ってました。
多分、Elvisに夢中になりかけていた頃です。また、Harry BerafonteのカーネギーコンサートのLPを繰返し聴いていたと思います。
VANに関しては高校に入ってからで、それ以来影響されっぱなしです。VANのコートを一着持っていまして絶対手放せません。
ビートルズに関してはElvisが好きなもんで、どうも好きになれず、ローリングストーンズに行ってしまいました。横浜ではこの対比結構あったように思われます。他愛ないのですが。ちょうどマガジンが好きかサンデーが好きかの論争のように。
Jazzに関しては、
文中「ばか、お前ジャズが分かってない、いい加減にしろ、そこらのエレキバンドじゃ無いんだぞ」にあるようにそんな雰囲気があり、「ジャ聞くかよ」で聞いてませんでした。この2-3年ほど前から聞き始めました。
すみません。長々と。あまりにも懐かしかったので。

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