« エピソード22:「スペシャル・セッションの前半が終わっていよいよ後半」 | トップページ | エピソード24: 「帰還者」 »

2010年7月26日 (月)

エピソード23: 「東京タワーとジャズ」

<前回より続く>

・・・今回は主人公の回顧録です・・・・

センさんはTVを見て思いにふけっていた。

そう、最近やたらと流れる、「団塊」という言葉、そして「東京タワー」という言葉。

小野田善一こと、このブログの主人公は団塊の世代、みな身近なことがらばかりで、そう簡単に語って欲しくない気持ちがある。

「3丁目の夕陽」という昭和33年を時代背景にそして東京タワーが出来上がる日々を追って当時の時代そのものを主人公した映画があった。

070428aoki_001 

ゼンさんはやたらにこの時代を遊んで欲しくないと思っている。

ゼンさんの人生の90%は東京タワーと一緒だったから。あの電波塔の足場ができたときから、四本の塔の足とアーチが組みあがり、徐々に伸びてゆく光景は今だに脳裏に焼き付いている、小学生11歳の時だった。

中学は東京タワーが完成した翌年、タワーのふもとの私立中学に合格し、東京の南の端から通学することになった。

高校まで一貫で6年間タワーが毎日隣にあった。

受験に合格した日、発表を祖母と母と私の三人で確認した、受験番号は313番だった。

帰りに東京タワーに登った。

このブログで書かれている、高校時代にJAZZのコンボを結成したのもこの高校だった。

そう、JAZZも昭和36年(1961年)に初めてであったのだ。60年代のジャズと言うのは、昭和30年代のことだ・・・昭和30年代・・・とは何だったのだろうか。

JAZZとは・・・人生であり、生きることです・・・生きざまです。

いや、「生きざま」を音にするとJAZZになる・・・とでもいいますか。

JAZZを知って50年になります。爾来私の人生はJAZZを通じて語るしかなくなりました。

クラシックも演歌も民謡もポピュラーも小説も物語もエッセイも・・・全てJAZZを通じて語りたいのです。

皆、人それぞれに、自分を語るにふさわしい鏡を持っていると思うのですが、それが私の場合、JAZZであると話易いし、とても楽なのです。

070317_008

因みに最近は何を聴きましたか?

私は村上春樹著「意味がなければスイングしない」というエリントンの曲名の逆を題目にした本を片手に最近の新譜を聞き出しましたが、今ひとつ充足感が無く、やはり

60年代のジャズへと回帰して満足を得るとこができました。

モンクを聴き、スティットを聴き、モブレイ、ドルフィー、マイルス、ロリンズ、ティモンズ、アダレイ、コルトレーンと続々と聴きつづけました。

この充足感は何かと自問自答して得た答えは、「アンチ・コマーシャリズム、迎合の排除」。

かつてJAZZである為の最低条件は上手い下手ではなく、コマーシャリズムの排除でした。

シャリコマに走ったアーティストは下げすまれました。魂を売ったと。

そこへ行くと今のアーティスト達の安い迎合には目を覆うばかりです。

どこの世界に聴き手からのリクエストに応えるアルバム制作などあるのしょうか。

60年代の輝きは、プロデューサーもアーティストも自分を表現することに誇りを持っていました。

その分ギャラが安かろうと、売り上げが悪かろうと、聴衆が居なかろうと・・・自分の音楽を演じ、表現していました。

このエネルギーが熱となり、炎の輝きとなって強烈に聴く者の心に染み渡り、何時までも人の心に残ってきたのです。

いつからかJAZZがビジネスになってしまったのですね、寂しいおもいです。

でも、幸いにして、60年代の音源は豊富に残っています。

この音源を根底に、この「KIND OF BLUE」も語り続けてゆきたいと思います。

糾える枝の様に物語を紡ぎだし、自分の人生や生き方を語りながら・・。

スイング・ジャーナルが行き詰まった・・・商業主義を排除せよ・・の旗手だったジャズ雑誌のスイング・ジャーナルが、いつの間にか商業主義の先鋒に立っていた。

これでは続く訳がありません、残念です。

そんなスイング・ジャーナル社も東京タワーの麓にありました。

<次回に続く>

« エピソード22:「スペシャル・セッションの前半が終わっていよいよ後半」 | トップページ | エピソード24: 「帰還者」 »

「音楽」カテゴリの記事

コメント

ゼンさん、こんばんは。

アメリカのジャズメンが誰一人知らない「クレオパトラの夢」を日本企画で録音するのは、日本がジャズの市場になっているからでしょう。やれ、枯葉、ファイブスポット、ストックホルム、ブルーボサ、おそらく絶対的な名演を越えられないものばかりですが、それでジャズの底辺が広がるのでしたら、あながちリクエストに応えるアルバム制作も否定はできません。が、現実はクレオパトラからインディアナに辿り着いた話は聞きませんね。何故でしょう。リクエストをする人のほとんどはマイルス、ゴルソン、ゲッツ、ジョーヘンの名演に、ジャズを聴いた青春の自分を重ねているからでしょう。さらに初めてリクエストに応えたアルバムを聴いた人は、ただただ心地良いばかりでジャズのエッセンスを汲み取るまでには至らないからと思います。リクエストするのはライブの場だけでありたいものです。とは言ってもプレイヤーがニヤッと笑ってグッドライフに応えてくれるのは、ゼンさんのリクエストだけか。(笑)

3丁目の夕陽を眺めにまた東京に行きたいですね。銀座の夜景も悪くないなぁ。(笑)

まあ、ライブのリクエストも問題で、出演者のレパートリーを知らずに、やたらにアレやれ、コレやれでは応じられないでしょうし、また、ステージの曲の順序も結構考えて並べているので、その辺の雰囲気も理解してリクエストとなると、かなりその出演者を聞き込んでいないと出来ないと思うのであります。

最も、そいうリクエストに片端から応えて、内容はありませんが、人気だけはとっている人もいるにはいますね。(笑)

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1371081/35906112

この記事へのトラックバック一覧です: エピソード23: 「東京タワーとジャズ」:

« エピソード22:「スペシャル・セッションの前半が終わっていよいよ後半」 | トップページ | エピソード24: 「帰還者」 »