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2010年7月 7日 (水)

エピソード17:「ブルースからバッハ、そしてモードへ」の巻

<前回より続く>

いや、「BLOGとはBLUESなり」と本質を見ました。日々歌う以外に何の楽しみもなかった黒人達の世界、そう1900年代初頭、南部アメリカでの話です。字も書けない、伝えること、日記代わりに歌で表現して、それがBLUES.民族音階スケールがBLUESコードだとしたら、正に民族音楽だ。今日の出来事、心境を歌で即興的に表現し、歌いあった。「♪EVERYDAY IS BLUES♪」 と歌いだし、MONDAYから始まる。喜怒哀楽であり祈りでもある。

そう考えた時、BLOGはBLUESなりと・・。

日々、徒然なるままに、つらつらと書きつづる、これBLUESの心境で無くしてなんなり。

でもこのところ、仕事も忙しく、聴くものは繰りかえしばかりで、新たな盤を取り出す気力もなく。

梅雨のおり、蒸し暑い気候に、取り出したCDはジャック・ルーシェ、これ意外にもマイ・フェヴァリットなんだ。

バッハを弾かしたら、天下一品、バッハを弾く為に生まれてきた男、きっとバッハが生きていたら、絶賛していたに違いない。

Jazz_jacques_loussier_play_bach_tod

1965年ころ、バロックジャズなるものが流行りだした。スイングルシンガーズがアカペラでバロックを歌う。なんと新鮮な響き、ミッシェル・ルグランの妹も参加しているこの男女混合ヴォーカルグループ、テクニシャンそろいで、J..BACHをJAZZ・セバスチャン・バッハと読み、タイトルとしたアルバムを出した。

爾来、ヨーロッパ方面の連中がこぞって題材とした。

MJQもジョンルイスも取り上げた。

クラシックもJAZZの題材になる、たしかに。「G線上のアリア」などは、クラシックというより妖艶なエロティシズムを湛えたメロディの繰り返し。たしか、当時の教会音楽では繰り返しのフレーズは禁止されていたはず。

バッハは単純な繰り返しは避け、巧みなコードチェンジで妖艶な世界を描いた。

「PLAY BACH TODAY」ジャク・ルーシェは初期のアルバムから又一段と洗練された解釈でバッハを取り上げている。この旋律をララバイとしてソファーでうたた寝、外は蒸し暑い梅雨、至福のひと時を過ごし、日常の疲れから癒された。

ルーシェはバッハを専門に題材としてきたが、ここにきてドビッシーなども取り上げ、極上の仕上げとなっている。

バッハがスイングするとどうなるか、まだの方はとくとご覧あれ!

重い話題で落ち込んで、出口の無い答えを探して悩んでいました。でもそんなある日、ドラムの大野が昼過ぎにやってきた。ここで気分も変わり、「KIND OF BLUE」の世界に戻ることができた。

ゼンさんは、昨日までの梅雨の暗い空から打って変わってカラリと晴れた午後、突然大野がやってきた。

「近くまで来た、まだステージには早いけど、いいかな」と言う。

ゼンさんも遅い朝食をとり、新聞を読んでいた。バックにはハービー・ハンコック、「処女航海」が掛かっていた。

1950年代から60年代に入る、マイルスはモード手法により表現の枠組を大きく変える示唆を示したが、内容が今ひとつバップ・イディオムから抜け出せないでいた。

1003_010

キャノンボールもコルトレーンも。

当時の若き獅子の筆頭、ハンコックは新しい手法による、新しい表現を見た。

メンバーも若手で揃え、自分のコンセプトを徹底した。出来上がったサウンドは新鮮この上なかった。

ピアノのリフで始まり、これから何かが起こることを予兆させるテーマが静かに響く。

正に、「MADEN VOYAGE」、船出だった。今聴いても新鮮だ。

大野が言った、「この当時のハンコックもハバートも、トニーも皆なフレッシュだなあ、出だしからしてカッコいいねぇ」

ゼンさんが応えた「最近生ライブで管が入る構成がないね、やりたいね」

「でも、ライブハウスでは経費削減、ギャラ削減でピアノトリオがやっと、最近ではピアノと歌だけという編成もあるしね」大野が業界話をし出した。

ゼンさんは急に言い出した「管入れてやろうよ、ファンキーでこれがジャズと言うのを」

大野が「でもギャラ考えたら赤字だよ」

「いい、採算なんてかまわない、所詮ジャズで儲けようなんて思ってもいないから」

「皆に聴かせたいんだ、生でこれがジャズの音というのを」

ゼンさんは構想が膨らんで「そうだ、3管編成がいい、ジャズのファンキーなアンサンブルをだしたいし」

大野の顔が序々に輝いてきた。

「管は誰を呼ぼうか?」

「そうね、ペット、テナー、後はボントロかアルトだけど、良いボントロがいないな、アルトで行こうか」

大野が既に誰かをイメージしている様だった。

「やるとなると、譜面やら音合わせやら、リハの時間がいるな」

<次回に続く>

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コメント

snowJazzは学生時代、新宿やらお茶の水のジャズ喫茶で、別に悩みもありませんでしたし、聴いていて体がスイングしてきて楽かったけれど、なぜか場に合わないような気がして、この世の終わりのような深刻な顔をして聴いていました~。ライブハウスのオーナーのゼンさんは細胞の一つ一つを透してJazzを愉しんでいらっしゃる御様子なので、な~んだ~、愉しんで良いんじゃないっと安堵。感化されジャック・ルーシェのBachシリーズを早朝からYoutubeで聴いていたら、すでに午後のおやつの時間!ゼンさんは買った場所を忘れちゃうから、CDやら本は、Webでは買わないで、しっかりとお店に行って買うとのコメントをどこかで拝見しましたが、ここNYCのアッパーウエストサイドでは、66丁目のBroadwayにあったTower Record はとうの昔に撤退し、CDを買うお店自体が消え、Web以外手だてがありまシェン・・・。でも私はお金を払った以上、買ったものを忘れるようなことは絶対に無いしっかり者の吝嗇家なのでご勘弁を~。昨晩焼いたチョコレートケーキと冷ミントテイーをいただいたら、WebでのJaques Loussier のCD買いに励みま~す。っで、夕方からもおやつ前引きつずき、ウキウキ気分で楽しめそうです。

Missyさん

私もその昔、しかめっ面してジャズ喫茶にいました・・・今思うと不思議な思い出です。
演じている人と聴いている人のギャップが大きかったのではと、今思ってます。
NYCではもうCDSHOPが無い・・・寂しいですね。
そもそも、米国より日本の方がジャズに対して拘っているように思えます。
まあ、楽しみながら・・・人生行きましょうよ、たかがジャズ・されどジャズ・・で・・。

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