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2010年9月14日 (火)

エピソード43:「セロニアスの巻」

<前回より続く>

暑い夏もやっと終ろうとしている、ゼンさんは夏バテ気味だ。

居間で一人、セロニアス・モンクのジャズのヴィデオを観ていた。

ゼンさんの記憶は1963年に飛んでいった。

19635月、17歳の時に産経ホールでセロニアス・モンクの初来日を聴いた。

セロニアス・モンク:ピアノ、チャリー・ラウズ:テナー、ブッチー・ウオーレン:ベース、フランキー・ダンロップ:ドラム

来日に際し、モンクの奇行に関する情報が先行した。

時間通りに演奏をするのか、途中で帰るそうだ、舞台で踊り出し演奏をしない・・等。

ジャズを聴きに行くと言うより、夜店の化け物屋敷を見るような感じだった。

Jazzpicmonk

事前にモンクのLPは数枚聴いていた、ソロや「モンクス・ミュージック」など、また「真夏の夜のジャズ」で「ブルー・モンク」を演奏する画像を観て、音はユニークだけど、普通に弾いていそうだし、でもあの音はなんのだろうか、物の本を読むと、「不協和音」とか「前衛」という語句がある。

高校生4人でバンドを組んでいた、そのアルトを吹いていた軒口君が曰く、「あんなスイングする奴はいない、だから踊り出すんだ、彼の弾くメロディーってリズムの合間を上手く縫って、リズムと会話をしているだろう、まるで踊るように」と。

僕にはその意味がわからなかった、でもピアノを弾けない軒口君が、ドラムに合わせて踊りながら、いい加減なピアノのキーを叩く、音はでたらめ、でもタイミングはモンクそっくり、これがなんとも雰囲気を出してそれらしい。

僕はモンクの複雑なシンコペーションを理解し真似するのに随分と時間がかかった。

モンクの演奏を聴きに行く日、我々4人組はいつものように、早めに産経ホールへ行った。

楽屋口でアーティスト達が入るのを見るためで、運よければLPにサインが貰える。

そこで係員の愚痴を聞いた、「またアイツ昨日のリハでピアノ線を切りやがった、毎日だぜ」と吐き出した。

ピアノ線はいくら力でキーを叩いても切れないが、不協和音で切れると聞いたことがあった。

モンクは産経ホールの舞台でも踊った、自分のソロが終わると、立ち上がり、リズムに合わせて体を回転させたり、ステップを踏んだりした。帽子をかぶり、指には大きな石の指輪をいくつもはめ、その指輪が気になるらしく、指輪の位置を直しながらピアノを弾いていた。

僕はモンクの指を一生懸命に観ていた、二日目は二階席から指を観た。

でも、特別意識的に不協和音のキーを押さえているようには見えなかった。

むしろオーソドックスなフレーズに聴こえた。

そして、チャーリー・ラウズのテナー、フランキー・ダンロップのドラムの良さに感心した。

その出来栄えは、当時のスタジオで録画したVTRで観、聴きするこことができる。

正に、LP「MONK‘s DREAM」を映像で確認することができる。

ここでもモンクは踊っている。

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「MONK‘S DREAM」(CBS)

19621031日、111日、2日、6日に録音

P)セロニアス・モンク、TS)チャリー・ラウズ、B)ジョン・オリ、DR)フランキー・ダンロップ

(曲目)

1、       MONK‘S DREAM

2、       BODY AND SOUL

3、       BRIGHT MISSIPPI

4、       FIVE SPOT BLUES

5、       BOLIVER BLUES

6、       JUST A GIGOLO

7、       BYE YAH

8、       SWEAT AND LOVELY

           4人がモンクコンセプトに乗ってスイングする、後年の名盤だ。

>>>>>          

モンクはコピーすべき対象ではない、でもそのユニークな存在は尊重すべきで、彼は何も奇をてらってはいない、感じるままを音にしているのだ。

現代音楽の平均律の範囲を大いに逸脱させてオリジナリティを創作している、所詮、ジャズは平均律とは無縁の生れだ。

ここにエリントンとの共通性を感じる。

今週末、VHSのヴィデオを観た、タイトルを「セロニアス・モンク、STRAIGHT NO CHAISER」と言う。約90分のヴィデオで、監督はジャズの何たるかを知り尽くした、クリント・イーストウッドだ、1988年のワーナー・ブラザース制作。

購入したときに観たが、内容は一言で素晴らしい、15年ぶりで観た。

1950年代のビバップ革命の最中の本拠地、ミントンズ・ハウスで演奏するモンクが出てくるのは貴重な音と映像だ。

テナーがソロをとっている間にピアノから立ち上がって舞台上で廻りながら踊るのは20代のころからの行動パターンなのが分かる、くわえ煙草で踊り、自分のソロの番になり慌てて椅子に座り、煙草をピアノの端に火のついたままおく、手は汗を拭くためにハンカチを持ったままソロを弾いている。

アクセントを肱打ちで引く、このあたりに彼の音が不協和音だとか不思議な音だと言われた秘密があるのかもしれない。

指使い、運指は独特で思わず笑ってしまうが、それがあの独特なシンコペーションと音列を生み出しているかと思うと、引き込まれてしまう。

モンクはピアノはメロディ楽器と和音楽器であり、また打楽器であることを完全に使おうとしているのだろう。

50年代からテナーのチャリー・ラウズとは良いコンビだったらしい。またモンクの良き理解者だったようだ。

ヴィレッジ・バンガードでの画面が多い、懐かしいオーナー、マックス・ゴードンも出てくる。

バンガードの楽屋というか、厨房の端っこが楽屋で、そこでのシーンもけっこうある。

テオ・マセロが召集したスタジオ録音風景もある、モンクは練習は殆んどしない、テイクも二回以上は取らない、理由は二回以上のフリー・インプロビセーションはテンションが下がるだけで緊張感が無くなると・・これはジャズでは大事なことだ、マイルスも同じ事を言っている。

「もし、ミスがあったら取り直しは」という質問に、ラウズが応えて曰く「モンクはテイクをとらないから、そのままミスの録音のレコードを一生聴くことになる」

これが「MONK‘S MUSIC」の出来た背景かと思った。

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50年代から60年代にかけての欧州ツアーの状況は興味深い。

フィル・ウッズ、レイ・コープランド、ジョニー・グリフィン、ジミー・クリーブランド等とオクテットを組みツアーに出るが、リハはしない、譜面は出来ていないで本番ステージで、そのステージ上で途中で演奏を止めて、打ち合わせをしなおし、やり直すという場面などが出てくる。

翌日、音合わせを行うが、この打ち合わせシーンが面白い。

ジョニー・グリフィンやラウズがどの音にするか、コードはどれを使うか等、モンクに聞きながら進めるが、さすがに一流は理解が早いというか、でもモンクの意向が分からなくラウズが通訳係りみたにモンクの考えを説明する。

でも、本番の音は凄い、フィルにしても、グリフィンにしても良いソロを取っている。

そしてこのVTRのために一部に挿入されているシーンがある。

トミー・フラナガンとバリー・ハリスがピアノのデュオでモンクの曲を弾くのだが、ハリスがフラナガンにモンクはこうやって弾いていたと解説している、そしてそれをミルト・ジャクソンとアート・ファーマーが傍で見ている。

この二人のピアノのデュオは凄い。

フラナガンのソロは彼が弾く直ぐ脇、1メーターで観たことがあるが、バリー・ハリスは見たことがなかった。彼の手の大きさに驚いた。

指が長い、手が大きい、13度はとどくであろう手で、まるで巨大な蜘蛛が鍵盤を飲み込んでいるような映像だ。

彼の理解者であり、スポンサーでもあった、ジャズ・パトロネスのニカ公爵夫人も出てくる。

モンクJr.が父を語っているが息子は常識人で、父を客観的に評価している。

モンクが亡くなった時の葬儀の模様も出てくる、そしてモンクの死顔も映っているが、静かな穏やかな良い死顔だ。

モンクはオリジナルは当然、スタンダードを弾いても、全てを自分の世界へ焼き直して表現する卓越した能力を有していた。

オリジナリティがイコール、ジャズであり、芸術であると言うこと、その為には自分自身の個性が唯一無二(ユニーク)であることを最も大事にした。

古い限られた映像をもとに、ジャズという雰囲気を壊さず、音も映像も最高のジャズらしい表現をしている映像なのは、やはりクリント・イーストウッドのジャズへの理解の深さを物語っている。

50年代、60年代のミュージシャン達の貴重な映像が盛りだくさんで、90分が短い。

ジャズを好きな人、ジャズの演奏を志すもの、ナット・ヘントフの「ジャズ・カントリー」と共に一度は観ておく必要がある映像だと思う。

明日は、この記事の冒頭にも書いた、1963年に初来日した際のVTRがある、これを観よう。

僕は産経ホールで二度聴いた、この時のVTRでこれはTV局が制作をしたので、音を切らずに全編収録したものだ。

因みに同時にデューク・エリントンが来日していた、モンクは彼のホテルを訪ね、直立不動で彼の話を聞いていたという。モンクの尊敬する数少ない人物だった。

僕は、モンクの曲とエリントンの曲に大きな関連性があると考えている。

音使いが結構単純なのに、順列とシンコペーションにより、摩訶不思議な曲となる。

コードも複雑な構成音ではなく、結構7THあたりを大事にしている。基本だ。

でも現代音楽の基本、平均律の枠をはみ出していることは前に書いた。

ピアノが弾けたらやってみてください。

エリントンの「CARAVAN」とモンクの「BLUE MONK」を弾くと、不思議に類似点が出てくる、と言って、モンクがエリントンを真似したわけではない。

そして、当初、突飛だと感じたメロディも自然と唄い出せるくらい親しみやすいメロであることに気がつく。

モンクは作曲も即興アドリブも同じ次元の作業で、面白い、興味あるメロディを次々と紡ぎ出す能力をもっている。それも書き直しや修正なしで。

喜怒哀楽を鍵盤にぶつけるモンクはモーツァルトに通じるものもある。

ジャズを聴き始めた人は先ずモンクを聴くべし・・・と思う。

解る、解らないと別、先ず、モンクの音楽、ジャズと言うものがある、個性と言うものがある、ユニークというものがある、オリジナリティと言うものがある・・・それを取り合えず頭にいれて、沢山のジャズを聴く、これが初心者にも良いのではと・・突然思いついた。

今、ジャズってなんですか?とか、ジャズを聴き始めたけど、何を聴いたらよいか?と問われれば、「モンクを聴け」と言う。

<次回へと続く>

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