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2010年10月19日 (火)

エピソード54:「おいらはドラマー」

<前回よりドンドン続く>

(今夜もジャズクラブ「Kind of Blue」の夜はふけゆく)

「ゼンさん、ゼンさんはピアノ以外には何か楽器をやっていたの?」と休憩時間に常連の関君が聞いてきた。

休憩時間やステージの終わったあと、アフターアワーズの会話はミュージシャンの日頃聞けない話、日常の話が聞けて興味深いことがある。そんな会話の中からその人柄が分かって、より音楽への理解が深まると言うことが多い。

「ああ、ドラムをやっていたことがある」

「えっ、ドラムも出来たのですか・・」

傍で、ドラムの大野がニヤニヤ笑っている。

「うん、家の近くに住んでいた友人が、バディ・リッチのサイン入りのバスドラのセットを持っていて、それを僕の家に持ってきて、一緒にやっていたんだ。彼がいない時は僕が練習していたんだ」

「バディ・リッチって・・あのルイ・ベルソンなんかと一緒にドラム合戦をやった白人ドラマーですか?」

「そうだ、当時4大ドラマーのドラム合戦なんて、結構下らない企画で人を集めていたね」

ゼンさんの大学時代の昔話が始った。

(写真は大学1年時、合宿で風邪をこじらせ一気に5キロ痩せての合宿打ち上げコンサート、名古屋にて)

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大学に入学すると、部活を何にするか・・考えた、中学、高校とやってきたスキーやテニスをやろうかと思ったが、大学の体育会は半端じゃない、トレーニングがきつい。

そこで、ジャズ研究会みたいなものが無いか探したが、僕の大学にはクラブとしてはフルバンしか無かった。僕はピアノだったので、フルバンでは面白く無いなと、譜面を弾いて終わりじゃつまらないと思っていた。

別途、個人的にやっている、アルトのワン ホーン カルテットがあった。

入れてもらおうと練習を聴きにいったが、もう仲間で出来あがっているし、ジョージ・シアリングのようなサウンドにポール・デスモンドを加えたと言うバンドで、当時、ケリーだシルバーだ、マッコイだと思っていた僕は一緒にやる気がおきなかった。

高校時代の4人組は進学の過程で、2人がW大へ行き、ジャズ研に、一人が外語大でジャス研、僕だけジャズ研の無い大学だった。

そこに、フルバンのマネージャーが教室に訪ねてきた、ピアノが4年生で卒業するといなくなるので是非入部して欲しいという勧誘だった。

暇つぶしのつもりで入部した。

最悪だった、レパートリーを見るとめちゃくちゃで、エリントン、ベーシーやらグレン・ミラー、レス・ブラウンというもう何を考えてやっているのかと思想の無いフルバンだった。

大体、練習を聴いて直ぐに感じた、エリントンなんて無理だと。

高校の上手いブラスバンドの方がまだましという技術で・・ではセンスはと言うと、ジャズを聴いたことがあるのかといいたくなるような先輩ばかり。

人数が多いので、まるで体育会のノリで秩序を保っている。

幸いにピアノというパートは一人だし、4年生は就職活動であまり出てこない。

「オイ、ピアノ!、Aトレーンやるぞ!」コンマスから声がかかる。

コンマスとはコンサートマスターで音楽監督で、バンマスはバンドマスターでクラブの部長である。

ペット4人、ボントロ3人、テナー2人、アルト2人、バリトン1人、ドラム、ベース、ピアノで都合15人である。

部員は30人いるので、半分はあぶれている・・というか二軍である。

Aトレーン即ち「TAKE THE A TRAIN」をやるというのだ。

直ぐに譜面を出す、オットそうだ、出だしがピアノで始る。

譜面は苦手である、「エート、これはどの音からだろうか・・・」と見ると良くあるフレーズが書いてあるではないか、それを二回繰り返すらしい。

コンマスの出すカウントで右手だけで二度繰り返すと、全員でテーマが始る。

あとは出番はどこかと譜面を見ていると、エンディングの最終音だけである。

途中はいろいろと書いてあるが、要はあまり絡む場面はないので適当にフィルイン(コンピング)することにした。

なんと閑なピアノだろう・・・アクビが出そうである。

そして、音を合わせてみるともうデタラメで、先ず管楽器のチューニングが狂っているし、リズムがバラバラ、なんか変だなと聴いていると、リズムだ、ドラムが駄目だ。

決めの一発が無い、決めるべく小節の頭でバシッと来ないし、音も負けている。

「オーイ、次やるぞ!マカレナ!」

隣にいるベースの3年生に聞いた「マカレナって何ですか?」

「あ、闘牛士のマンボとも言うな」

「え、ペレス・ブラード?そんなのやるんですか?ジャズではないでしょう?」

「うん、でも先輩にマンボの好きなヤツがいるのよ」

「ピアノは何をすればよいのですか?譜面が無いんですが」

「ああ、ピアノは無いよ、その辺のバケツでも叩いていろよ」

最悪のバンドだ。

「あの、ドラムをやりたいのですが・・・」とある日申し出てみた。

バンマス曰く、「ピアノがいなくなるしなあ、それにお前ドラム叩けるのか?」

「ええ、少しは」と内心あの先輩よりはと思っていた。

そして、1ヶ月後、ピアノをやりたいと言う女子学生がやってきた。

バンマスが聞いている「君はジャズピアノは?」「いえ、初めてです」「譜面は読めるの?」

「ええ、なんとか、5歳からピアノを習っていますので・・・でもジャズは弾いたことがなくて」

これで決まった、僕はドラム、ピアノは新人の女学生と。

あの女学生が弾いても、僕が弾いても同じだよこんなバンドと思っていた。

浜松湖で合宿となった。

4年生のドラムはそれまでの練習で僕にレギュラーを譲ってくれた、僕が上手いわけではない、彼が余りにもどうし様も無いと言うだけだ。

そして、どうもこのバンドのドラムセットはフルバン用ではない、無理がある、シンバルも一枚はジルジャンだが、あとは何だか鍋蓋みたいなシンバルとハイハットだ。

そこでバンドのバンマスがクラブ用のセットを学校からの補助金で買ってくれる事になった。

スネアとKジルジャンの22インチのトップシンバルは自前のを持ってきていた。

浜松の地元のドラム製造の名人、ネギドラムの根木さんがお手製を作ってくれるという。

合宿にそのセットが持ち込まれた。

白木の三点セットでかなりカッコいいし、音も抜けがいい。

シンバルとハイハットもKジルでそろえた、レガートが気持ちいいくらいだ。カチーンというスティックの当たる音がクリアーだ。

根木さんが練習を見てくれた、「ドラム、もっと思い切り叩いて!」という。

それから彼のコーチが始った、いつも言うのはもっと強く叩けだ。

思い切り叩いた、力のあらん限り叩いた、でももっとという。

根木さんはドラマーではない、しかし、多くのドラマーにタイコを作ってきた人だ、演奏の現場や一流の音の出し方を散々見て研究してきた方だ、きっと僕の音が歯がゆかったに違いない。

「思い切り叩いても壊れませんから、リムをカーンと力一杯やってください、気持ちの良い音が出ますから」と。

フルバンのフォルテッシモはそのくらいの迫力で叩けということを教えてもらった。

すると、リードセクションもブラスセクションもこれに負けじと音量を上げる、迫力がでてきた。

フルバンのタイコは体力が大事なのだと思った。

僕はベーシー楽団のソニー・ペインに憧れていた。

高校時代に厚生年金ホールで聴いたベーシーは音が大きく、驚いたこと、そして、「オールマン リバー」でソニー・ペインが延々と30分のソロをやったこと、そのソロが抜群にカッコよかったことが焼きついていた。

(写真はカウント・ベーシー楽団1967年ロンドンでの映像より)

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そして、なにより「アレ」もやりたかった・・・。

日本の誇るフルバンド、「原信夫とシャープ&フラッツ」のテーマ曲「BLUE FLAME」である。

ある日コンマスを口説いて我々もテーマを持ちましょうと。

何しろ、出だしが、ドラムのフォルテッシモで二拍三連が続いて、それにリードセクションがうねってメロがのってくる、ドラムから言うと最高の出だしだ。

幕が開く前に音が出て、一段高いところでドラムがドッドッドッとやり、幕が開く、この瞬間が最高の気持ちだ、ゾクゾクする、この為にバンドをやっているようなものだ。

合宿の終わりに、名古屋で公演を行うという、500人入りのホールで、地元の女子大のコンボをゲストに呼ぶという。

浜松から名古屋へ移動、フルバンの移動は大変だ、途中時間の無い乗り換えもある、ホームを走らないと間に合わないとジャーマネがいう。

30人の集団が楽器をもって駅を走る。

ジャーマネが若い二軍に大きな楽器を配分して持たせる指示をしている。

「いいか、駅に着いたら、先ずバリトンが先頭で走れ、そしてバリトンケースをドアーに挟んでドアーが閉まらないようにしろ」と指示をしている。

バリトンのハードケースは大きくて硬い、二人で担いで走るのだ。

4年生は手ぶらでブラブラとあるいている、「先輩、走ってください!」2年のジャーマネが叫んでいる。4年生は売店でビールとつまみ等を買い込んでいる。

「電車を待たせろ!」もう無茶苦茶である。

駅のスピーカーがガナッテいる。「そこの団体の人、電車のドアーを抑えないでください!発車します!」「そこの人、荷物をドアーに挟まないで!」

駅のスピーカーが怒鳴っている。

この光景はフルバンの移動にはつき物だった。

その後、コンマスを口説いて、ジャズっぽいレパートリーを増やしていった。

一年後、新人が二人入部した、ベースとドラムだ、これが凄いヤツが来た。

ドラムはプロ並、ベースは音感とビート感がよく、こうやろうと言うと全部理解してその通りにできる。

僕は直ぐにドラムの座を譲った。

そしてピアノのレギュラーに戻った。

リズムセクションの三人はいつも物足りなさを感じていた。

そして、三人で別途ピアノトリオをつくった。しかしジャズのトリオだけでは仕事が無い、そして女の子にもてない。

そこで、当時流行っていた、「セルジオ・メンデスとブラジル66」のコピーバンドも作った。

Serjiomenndes_66

この二つのバンドは売れに売れた。毎月のアルバイト代を山分けする方式で、月に平均7万円になった。大卒の初任給が2万円の時だ。

リズムセクションの三人はこのフルバンを辞めたいと思っていたが、なかなか辞められず、練習は適当にしていた。

ある日、コンマスが、「練習をプロに指導してもらおうと思う、今日からコーチをお願いした」という。

トロンボーンの東本安博さんだ、いつもSJ誌のトロンボーンの人気投票で谷啓とトップを争っている方だ、日本一のトローンボーンだと紹介した。

確かにSJ誌ではいつもトローンボーンの欄に出ているが聴いたことが無い。

実際に見るとジャズミュージシャンという雰囲気ではない、どこか街のオジサンという感じだ。

でもボントロの音だけは大きい、そしてボントロの連中に指導するときはいつも、「もっと大きな音を」だ。そして、なんでも吹けてしまうところを見るとやはりプロは凄いなと感じた。

ある日、その東本さんが地元のお祭りの余興に出て欲しいという。

でも予算が無いのでギャラが出ない、奥さんが地元でスナックをやっているので、終わったら呑み放題ということでと頼まれた。

下町のしけたお祭りで、神社にヨシズ張りの紅白幕の演台があってそこで演奏だが・・・観客がいない。そこに子供が三人ばかり来た、「何をやっているのだろう?」と。

コンマスがすかさずカウントを出した、テーマが始った、あまりの音の大きさに子供が逃げてしまった。奥から神主さんが出てきた、今奥でお神楽の舞をやっているので静かに演奏してくれという。

もうハチャメチャだ、東本さんも町の世話役らしいが・・・もういいから呑みにゆこうと言う。

二軍に片付けを任せて、奥さんの店にいった、15人が入ると満杯のスナックだった。

そして隣が東本さんの本業?の塗装業の店があった。

或る日、プライベートで赤坂のTBSの隣の地下、「TOPS」で名物のドライカレーとチョコレートケーキを二人の女の子と食べていた、向こうから視線がくる、嫌な予感・・・東本さんだ。

「丁度いいや、ちょっと手伝ってくれないか、ちょっといいから上のGスタまで来てよ」

こちらはガールフレンドを二人連れているのに無粋なと思いつつ、彼女達もスタジオを見たかったのだろう、付いてきた。

「あのさ、一曲だけトラやってよ、ピアノが急に休んでしまったんだ」

「何を弾くのですか?」

「365歩のマーチ」

「知りませんよ、そんな曲」と言いかけて言葉を飲んだ。後ろに、真っ白な着物姿の水前寺清子さんが立っている。

一緒に行った女性共はサインなんかもらっている。

メンバーはスタジオミュージシャンのベテラン達だ。

「ちょうどいい奴が下にいたから連れてきた」と言っている。

「一度あわせよう」と、もう無理やりだ。

コード進行だけをもらって、例の二拍子のマーチにあわせた。

「TVでの洋服もってないですよ」

「いいんだ、バンドは映さないから」全部、東本さんが仕切っていた。

そんな大学時代のバンド活動だった・・・・。

ゼンさんは一年間、フルバンのドラムを叩いていた、フルバンのドラムは気持ちがよい、何しろ一番高い場所で目立つ、音が大きい、出だし、終わり、中間での小節の切れ目での決めの三連符やロール、そしてシンバルを思い切りひっぱたく。

頭三連、中抜き三連、後打ち三連、いろいろな三連符も学んだ。

ゼンさんは今でもジャズを聴いている時、左足はハイハットを踏んでリズムを取るクセがある。

因みに、当時のドラムとベースはこの仮想のジャズクラブ「KIND OF BLUE」にもよく遊びにくる川島君と森君だ。

いまや彼らは、上場企業の重役とオーナー社長だ。

<次回へとどんどん続く>

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