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2010年12月15日 (水)

エピソード72:「アニタ・オデイ」

<前回より続く>

~今回はあの世からのゲストの登場です、天国へも通じる「Kind of Blue」の不思議な階段・・・色々なゲストがあの世から登場します~

暮れも押し迫ったある夜、そうセカンドステージが終りかけていた11時頃だ、ジャズ・クラブ「Kind of Blue」の階段を下りてくる足音があった。

最初に白いブーツが見えた。

河田吾郎のピアノは“Will you still be mine”でご機嫌にスイングしていた。

そのブーツの主は横目で河田の方を見ると、カウンターに肘をついてスコッチのストレートを頼んだ。

ゼンさんが横に行って、「久しぶりですね」と、彼女は静かにうなずいた。

ゼンさんはヴォーカル・マイクを用意してアンプのスイッチをONにした。

ピアノの河田が目で合図をした。

青紫朗も直ぐに長い筒からソプラノ・サックスを取り出した。

彼女はすかさず、かなりアップテンポのカウントを出した。

「Tea for two」が始まった。

一気に1コーラスを歌い終わると、続いてスキャットで1コーラスをアドリブで通した。

青紫朗がソプラノでソロを2コーラスとり、河田がソロを引き継いだ、2コーラスのソロからソプラノとピアノとスキャットとドラムの4バース・チェインジに入った。正に息もつかぬ速さとはこのことだ。この4バースは4コーラスも続いた。

お客は、半分はあっけにとられ、半分はその高速スイングに酔っていた。

4バースからテーマに戻り、歯切れの良いエンディングで終えた。

お客は熱狂して拍手をしている。

Sweetgeorgia

ゼンさんが、マイクでアナウンスした、「This is ANITA!」

そう、アニタ・オデイがひょっこりと現れたのだ。

しかし、ゼンさんのアナウンスが終ると・・・アニタの姿は消えていた。

>>>

1963年、某月某日、当時私は16歳、今日は夕方から来日中のアニタ・オデイと「猪俣猛とウエストライナーズ」のTV番組がある、というので寄り道をせず帰宅。

早速、祖父の持っていたオープンリールのテープレコーダを引っ張り出し、マイクをTV画面の前面に備え、未だ吹き込んでいないテープを繰り出し、準備を進めた。(ヴィデオなど想像すらできない時代だった)

録音端子などという洒落た物はない、ただ録音中に雑音が入らぬよう祈るだけだ。

重さだけでも15KGはある。音が録音できるだけでも画期的な代物だ、音質などと言ってはいられない、因みにGE製だ。

番組が始まった、先ず「ウエストライナーズ」が演奏する。パーソネルが今不明確である、何方か記憶にある方がいたら修正をお願いしたい。

Ts:西条孝之助、Tp:伏見哲夫、Vrs:原田忠幸、P:前田憲生、ベースは誰だったか、滝本さん? ドラムスは御大、猪俣猛。

アニタ・オデイが出てくる、歌うは、「Tea for Two」最初はミデディアムファーストくらいで出てくる、途中から倍テンになって、凄いスピードになる。

スキャットの声が楽器だ、管楽器と対等にアドリブをとる。

そして例の8バースチェインジから4バース、2バース、最後は1バースチェインジへとクライマックスになる。

バリトンでの1バースは苦しい、一音で終わってしまう。

アニタが自分のマイクを各楽器のところへ廻す、曲芸的なバースチェインジだ。

アニタの1バースのスキャットはフレーズになっている。

これがジャズ・ヴォーカルだと・・・高校生ながらに感じ入った。

後半は確か、シャープス&フラッツとの共演もあり、「スイート・ジョージア・ブラウン」を歌ったのを覚えている。

ジャズでは、いつも黒人至上主義の僕は白人ヴォーカルにも凄い人がいると認識し、大学に入るとアニタのLPを買った。

あまりに凄いヴォーカルなので、これを真似る人などはいないと、また真似ても意味のない事だと思っていた。

楽器と対抗できるヴォーカル、これがアニタの印象だった。

1975年かアニタが来日した。

今度はジャズクラブで身近で聴けることとなった。

六本木のジャズクラブ、今は無い、「バランタイン」の富田社長が誘ってくれた。

30人も入れば満杯の店は超満員、僕はピアノの後ろのバンドの控え用の丸テーブルについた。

隣にアニタの女性マネージャーが座った。

当日のピアノが誰だったかが思い出せない、ベースはたしか稲葉国光さんだったかと記憶する。ドラムはアニタの彼氏ジョン・プールだ。

ピアノはアニタが連れてきた人だったか・・。

Img

僕は聴くことに集中し、隣の女性マネージャーとは最初に紹介され、挨拶をしただけだった。

曲が進み、休憩になった。入替制でお客さんが入れ替わっている、中にはサインを貰いに来る人など、ごった返していた。

マネージャーもアニタに気をつかっていた。

富田社長のはからいで、僕はそのままい続けた。

アニタは水だけを飲んだ、お酒は飲んでいなかった。

当時、アニタは56,7歳の中年のオバハンだったが、近くでみるアニタは映像で見るアニタとはまた違っていた。

第二ステージも食い入る様に聴いた・・・・が、何をどう歌ったかは覚えていない。

第二ステージもアンコールをやって終わる頃はもう12時になっていた。

アニタはやっと今日の仕事は終わりとばかり、オンザロックを片手に席に座った。

そして、マネージャーが僕を「この店のフリークエンター(常連)よ」と紹介した。

握手をした。

僕は「今日は小さなクラブなので帽子も手袋もなしですね」と挨拶に続く会話を出した。

「ああ、あなた観たのね」「勿論ですよ」

続いてマネージャーと何か話している、指をさして、お客の足元を見ている。

良く聞くと、その女性客の履いているベージュ色のブーツが気になるらしい。

マネージャーが僕に「あのブーツは日本製かしら」と聞く。僕は女性用のブーツには詳しくはないので、聞いてみようかと言った。

<このジャケット写真、年代も同じ頃でブーツをはいています>

その女性客はボーカル勉強中の若い子で、よく店で会う人だった。

その子に聞いた、「そのブーツ、アニタが気に入っているけど何処で買ったの?」

その子は渋谷と原宿の間にある僕も知っている靴屋の名を挙げた。そしてアニタとマネージャーにその事を伝えた。

アニタがマネージャーに聞いている、「明日、行く時間がある?」

「明日は夜のクラブの仕事だけだから大丈夫よ、もし貴方が早く起きられればね」とマネージャーが言った。

「大丈夫よ起きるわよ」とアニタ。

曲は覚えていないのに、こんなたわいない会話を覚えている。

アニタがマネージャーに「あなた場所わかる?」

「・・・・さんに頼みましょうよ」(日本側のプロモーターの社長らしき人の名を挙げた)

「でも、あした昼から付き合ってくれるかしら?」

「さあ、分からないわね」

こんなやり取りがあって、アニタが、急に「あなた知っているの、その靴屋さん」ときた。

「知っていますよ、もし午後なら空いているから、僕の車で行ってもいいですよ」

「行ってもらいましょうよ」

「でも、いいですか」とマネージャー。

「僕は長年のファンなのですから、反って光栄なくらいで」と返した。

近くで見る、アニタの肌はシミ・ソバカスが多かった。

それから2時くらいまでアフターアワーズの話は続いた。

翌日、1時にホテル・ニューオータニへ迎にいった。

そして、靴屋さんへと案内した。

アニタの靴のサイズは結構大きかった、日本人の普通サイズの範疇ではなかった。

でもアニタはそのブーツが欲しかった。

ベージュ色のロングブーツでヒールの高いスタイルだった。

アメリカにはないの、あのヒールの高さでロングブーツがと・・。

お店では特注になるといった、アニタはそれでもOKと言った。

足型を取った、アメリカ到着まで3ヶ月はかかるという。

マネージャーが送り先を紙に書いた。

終わった時は、もう夕方4時を廻っていた。

ホテルに帰って支度をして、6時には今夜のクラブに行くという。

クラブは何処と聞いた、「コパカバーナ」で西条孝之助4とだ。

彼女は僕を招待してくれた。以前にもコパではジェリー・マリガン4を聴いたことがあったがテーブルチャージが高かった。

7時の音出しまでに行くといって、ホテルに送った。

その夜、そのマネージャーと一緒にクラブの隅からアニタを聴いた。

日本のスタンゲッツ、西条孝之助との共演はクールにも白熱したステージを繰り広げた。

(注:西条孝之助:慶応義塾大学応援団、ブラスバンド出身という落差も笑えそうだが、わき道には此処では入らない)

前夜とは全く違う客層、でもこの高いチャージを払ってでも聴きたい人の集まりは大人の聴衆であった。

聴くツボをわきまえたお客さんだった。

このようなジャズファンもいるのだという認識をした夜でもあった。

アニタはその夜は忙しそうだった、多くのファンに囲まれていた、みんな英語が達者な人たちで、アニタとはダイレクト・コミュニケーションがとれた。

アニタは満足そうだった。

僕は、アニタとマネージャーにお礼言って別れた。

明日からは関西でしょ、気をつけてね。

これがアニタと交わした最後の会話だった。

赤坂の時間は深夜2時を廻っていた。

これが僕とアニタのダイレクトな出逢いで、爾来、アニタのLPを聴く度に、この時のことを思い起こすのだ。

「真夏の夜のジャズ」のアニタより、とても庶民的なオバサンだったアニタ・オデイ、気さくで、飾らない、でもヤンキー・オバサン気質もちょっぴり感じさせるところがあった。

     ・・「THIS IS ANITA!」

Teafortwobig

※この時の雰囲気を味わいたい方は、一関の「ベイシー」でライブ録音されたアニタ・オデイのCDがあります。素晴らしい盤で彼女のベスト3に入る盤だと思います。

<次回に続く>

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