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2011年1月14日 (金)

エピソード75:「ふたたび」

今年の正月でジャズを聞き始めて丁度50周年になると前回書いた。

13歳、中学1年の時だった。そのきっかけが、ジャズ・メッセンジャーズの来日公演であったことは耳だこであろう。

高校1年生の時にすき者が4人でジャズのバンドを組んだ。世はエレキブームの真っ只中であった。エレキと長髪は不良の素みたいに言われた。

そんな中でモダンジャズのバンドを組みたいと、学校に申し出た。

学校は戸惑った、モダンジャズって何だ・・・どうも退廃的な薬物がらみの黒人音楽らしい、などと職員会議で言われた、音楽の専任教師も答えられなかった。

したがって学校から却下された。

翌週、4人は知恵を絞り、作戦を変えた、「現代音楽研究会」と名称を変更し、サンプル音楽として、ジョン・ケージを挙げた。

職員会議はなんとかクリアーした。

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半年後の文化祭で初めて人前で音を出すことになった。

その最初の曲は当時ヒットしていたハービー・マンの「Coming home baby」であった。顧問の漢文の若い先生と音楽の先生が不思議そうな顔をして、「これが・・ソノ音楽か・・」と。

コルトレーンやドロフィーに心酔していたアルトとクラの軒口君、ミンガス大好きのベースの安藤君、マックス・ローチを真似して得意がっているドラムの小林君、モンクとケリーが好きなピアノの私。

なのに、何故「Coming home baby」なのか・・テーマのメロディがコピーしやすく、ベースのラインも真似しやすかったから、そしてアドリブも創り易かったから・・。

もう45年以上も前の話しである。この辺りの話しは、ブログの高校時代の話しで詳しく書いた。

最近、気になる映画が公開された、「ふたたび」という題名である。

昔一緒に演奏したジャズマンが50年後に昔のメンバーをたづね、もう一度一緒にやろうというセンチメンタル・ジャーニー的ストーリーである。

「ふたたび」と題されると、ジャズファンは直ぐに思いつく、ジャズ・スタンダード海賊譜面集1001のABC順の第一曲目の「AGAIN」にかけたのではないかと・・・。

そんなことはどうでもいい・・・私も今年でジャズを聞いて50年になる。

そこで、もう一度高校時代の仲間と一緒に演奏をしたい・・・正に「ふたたび」の再現版である。

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しかし・・・である、この4人のバンド仲間のうち2人が既に他界してしまっているのである。

アルトとクラとフルートを吹いていた、軒口君は40歳前にして飲みすぎ肝硬変で若死にしてしまった。生前、楽器販売会社へ就職し、ジャズの評論活動もしていた。

何時も仲間の中でも私の近くにいて、私が浪人していた時などは一番心配してくれたし、大学の合格を一緒に見にゆき、共に喜んでくれたそんなヤツだった。

ドラムの小林君は60歳を前に他界した。

彼は外語大へ進み、得意の語学を活かし、BBC放送の翻訳を手がけ、また、山口百恵と宇津井健の「赤のシリーズ」の台本も書いていた。

台所の長いおさえ箸の先端にセロテープを巻いて、空き缶とあき箱を叩いて、マックス・ローチをコピーできたと自慢していた。

ベースの安藤君は大手住宅産業へ就職し、役員になった後、定年退職した。

今や、私と安藤君の二人になってしまった。

「ふたたび」をやろうと思いついたが・・・ピアノとベースのデュオになってしまった。

さあ、そこで何を演奏しようか・・・「AGAIN」か・・・50年前を思い出しながら・・・

<次回へと続くのだ・・・>

<前回より続く・・ドンドン続くのだ・・>

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