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2011年2月21日 (月)

エピソード79:グレート・ジャズ・ピアニスト マッコイ・タイナー・インタビュー

<前回より続く>

(今回はピアニスト、マッコイ・タイナーをインタビューしてみよう、出典は「ザ・グレート・ジャズピアニスト」音楽の友社からアレンジ)

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マッコイは控えめな人で、基本的に私生活を大切にしている。普段の会話はとてもリラックスしており静かに語る。しかし、演奏前は緊張がみなぎり演奏のことだけで専念する。

鍵盤に向うと、筋肉が盛り上がり、闘牛士のような力強さと決断力で鍵盤をたたく。

タイナーには卓越した信仰心が貫かれている。イスラム教の精神に支えられた信仰心である。

1950年代初期、ベニー・ゴルソンとアート・ファーマー・ジャズテットで短期間演奏した後、エルビン・ジョーンズとシミー・ギャルソンと共にジョン・コルトレーン・カルテットの一員として歴史に残る役割を果たした。

コルトレーンの影響を受けてタイナーのモード奏法は急速に発展し、70年代には力強くパーカッシブな打鍵でさらに複雑なモーダル・ハーモニーを使い始めた。

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「テクニックを伸ばすにはどんなことが役に立ちますか?」

それは、表現するには何が必要かということしだいだよ。自分自身を表現できるということが一番大事だ。必要

迫られて初めてテクニックを手に入れようとするのが本筋だろう。音楽は自己表現の一形態だと思うんだ。

「グラノフ音楽学校ではテクニックの勉強をした時期のあるのでは」

18世紀の音楽をベースにした理論と和声を勉強した。若いうちはスケールの練習ばかりをしていたね。コンスタントに沢山練習するのがいいね、今日は4時間、明日は20分というより、毎日30分やるほうがいい。

僕はピアノを始めて1年間は家にピアノが無かったので近所の家で練習させてもらったんだ。

「よく聴いていたミュージシャンは」

それがねぇ・・買えなくてレコードを持っていなかったんだ。貰ったマイスルとパーカーが一枚くらい。78回転のだ。バド・パウエルを知ったときはすぐに何枚か買ったけど、それは大人になってからのことだ。

「即興演奏に関心をもつようになったきっかけは?」

15歳のころで、7人編成のグループをつくって、自宅でよセッションをやった。先ず皆に譜面を渡さなければならないと気づいたんだ。だいたいレコードやラジオで聴いた曲をやっていた。

「ジョン・コルトレーンと会ったのはどういう経緯で、カルテットのメンバーになったのは?」

ジョンと会ったのは55年の夏で17歳のときだ。ジミー・ギャリソンとトゥーティー・ヒース、カル・マッセイの仕事をしている時でカルとジョンが親友だった。ジョンからは、静かだけれど、重い衝撃を受けたよ。彼の即興のアプローチに魅かれたんだ。

ジョンがマイルスのバンドを離れたとき、お互いに連絡は取り合っていた。

僕は昼間は運送会社の事務員をしていたんだ。ジョンとやっていると彼は物凄い量の即興演奏をするんだ。アイディアを模索中だったのだろうね。それが「ジャイアント・ステップス」に発展していったんだよ。コルトレーンはまたマイルスのところに戻っていたけど、自分でグループを作るときには僕がピアノをやると約束していたんだ。

ジャズテットをやっているときに誘いがきた、でも辞めろとは言えなかったんだろう。ネイマが彼を説得したんだろうと思うよ。

僕は行くべきところはジョンのグループとすぐに思えた。

「コルトレーン・カルテット時代は音楽面の影響以外にも重要な時期だったのではないかと思うのですが?」

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ジョンのところでは僕は伴奏者としての責任を果たそうと思った。その役目を果たせばきっと学ぶものがあるだろうと考えたからだ。自分のやりたいことをジョンに伝えることは無かった。彼が表現しようとしているものを見つけたかったからね。しかし、ジョンが僕に何か指示をすることもなかった。

良きリーダーになりたければ、その前に良き従者になれ、という格言は事実だね。

アノ時期は、経験をつんでリーダーになる為の準備段階だったのかもしれない。

「当時、初めて録音したインパルスのリーダーアルバムについてどう思いますか」

カルテットとはべつの音を出そうとしていたんだ。本当はジョンとやっているやり方が自分に一番あっているということを気づかずにね。

「そのグループを65年に辞めたわけは?」

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自分の音楽をこのまま追求していたら、いつかグループを離れなければならないだろうと思っていた。そこへジョンが次のドラマー、ラシッド・アリを雇ったから、物理的にも無理が出てきた。なにしろ自分の音が聞こえないのだから。ジョンは分かっていたよ。

「次はどういうことになったのですか?」

じっくり続けられるほどの仕事が無かったので昼間は働くことも考えた。しかし、ツアーもなく家族と一緒で幸せでもあった。生きる力を試されていたんだ、創造主にね。妥協する機会はあったけど僕はしなかった。

「妥協とは音楽をやめるとか、ポップスをやるということですか?」

タクシーの運転手をやろうと思ったんだ。僕をよく空港まで運んでくれたタクシー会社にね、面接に行ったら信じられなくて、それきっり音沙汰なしだ。

ベニー・グッドマンのツアーの話もあった。知り合いの中にはエレクトリックやロックに流れた連中も少なくないけど、僕にはできなかった

“ダイヤモンドを生み出すには圧力が必要だ”と言った人もいる。家内もすごいと思う。

売れていないミュージシャンと暮らしてゆける女性というのは特別な人だね、かなり貧しい時期を乗り越えてきたからね。小銭の入った丸太小屋の形をした貯金箱を持っていたけど、今でもそれを大事にしているよ。

「71年頃。音楽的に個性が出てきましたね、特にパーカッシブな奏法が」

そう思うよ、自分の感情を現すために、その楽器の中に別な何かを探すようになる。僕の場合、もっとドラム的というかリズム楽器としての側面が広がったんだ。

腕や足と同じように自分の一部になった。

「自分の音楽が歴史的にどんな位置にあると思いますか」

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ビバップの延長線上だけど、あらゆるものが繋がっているよ。

別の視点もある、それは黒人社会だ。黒人社会では音楽は自己表現にとても重要だったんだ。特にビバップは、あの特殊なイディオムはとても大きな変化だった。今の音楽はかなりの商業主義に偏っているけど、あの頃の人たちはいい音楽は本当に好きだったんだ。

ジャズの中にインド音楽も聞き取れるかもしれないし、ストラビンスキーが聴こえるかもしれない、因みに僕はストラビンスキーのオーケストレーションが好きなんだ。大切なことは、音楽の源流が感じとられなければいけないということだ。

「信仰と音楽を繋ぐものは何ですか?」

ジャズの始まりは宗教音楽だったんだ。大体、音楽は創造主を讃えるために生れたものなんだ。それがもともとの目的だよ。

「なぜ、神でなく創造主という言葉を使うのですか?」

人間の考えることは、愛から生れてくると信じているんだ。創造主という言葉は、でんと座って裁くという感じではなくて、創造物を愛する神を指しているからなんだ。

「あなたの音楽はある意味で宗教音楽だと思いますか」

そのレベルにまで達しているといいね。まあ、同時に別のものでもありうるわけだけど。

「作曲はどうですか、最近かなりやっていますか?」

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ソロの時にはモーションやモードチェンジを沢山感じ取っているから、それを枠組みの中に入れて作ってみたい、ソロの時の雰囲気を補うような曲を書きたいね。

60年代の初めに書いたのは「アフリカ・ブラス」の中の「グリーン・スリーブス」くらいだね。あれは僕のオーケストレーションでフレンチホルンとトランペットを使っているんだ。僕は沢山のヴォイスを感じていたと思う。僕のコンピングのアプローチがそうだとジョンが言っていたのを覚えているよ。エリック・ドルフィーが僕のヴォイシングを使って「アフリカ」という曲を書いているんだ。僕のピアノから出ている音を出したいから教えてくれと彼から頼まれたんだ。

「チックやハンコック、キースなどをみると、プレイヤーにとって作曲も重要な部分になってきていると思うのですが?」

それは音楽にとって良いことだ。音楽に変化が起きるときは先ずは作曲から始まって、それからコンセプトが変わるということが多い。ジョンは演奏を通じて変えていった。かれは自分のスタイルを補うような曲つくりをした。形というものをとても理解しているプレイヤーも多いね。チックやバービーはエレクトロニックにのめりこんでいるけど、優秀な作曲家と認めざるを得ないよ。ハービーの場合はコマーシャルな作品は別として。

「どんな種類のピアノがすきですか?」

一般的にはスタンウエイだね。僕自身一台持っているよ。特にヨーロッパのがいいね。ヤマハもなかなかだ。

「エレクトリック・ピアノはどうですか」

電子楽器はどうも人工的な音で、感情をこめることができないね。物理的には演奏しやすいけど、それが弱点になる。押しただけで大きな音が出る。あれは人間らしいヴァイブレーションを妨げていると思う。

「どんな音楽を聴いていますか」

ストラビンスキー、そのほかに、アフリカやトルコの民族音楽。でも一番楽しめるものはジャズだね。

「今のアメリカではジャズが演奏されにくい、売れにくい、といった困難な状況ですが、なぜそうなってしまったのでしょう」

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ガラクタみたなのが溢れているからね。人間的でない人工的なものを聴衆は押し付けられている。アメリカの聴衆に耳がないのだとは思わないよ、間違った方向に導かれてしまっただけなんだ。

<次回に続く>

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